言葉の力

母親の言葉として「貴方は何をしてもいいよ」と言われることがあると思う。

この言葉を分析すると。何をすることであっても、それに対して許可をおろしているという状況を指定している事がわかる。
全ての行為に対して許可をおろしていることは、今後、どの行為においても、許可が取り消される可能性があり、自分の許認可を得た上で行為を行うことが規定されてしまう。
許認可を与えているという事は、2者関係が上下関係であり、上下関係のもとでの命令ととらえることがでるため、全ての行為は上位者の命令に基づいた行為になってしまう。ゆえにこの言葉の後に行う行動はすべて命令の元での行為になるため、自発的意志に基づく行為を行う事ができない。

同じように、この言葉も先の言葉と同じ自発性を失う言葉である。
「自分の好きな事をしなさい」

この言葉を発した後は行為を行う時に必ず矛盾が起きてしまう。
言葉を文法的に見ると「自分の好きな事をする」の命令形である。
分解するとこの通り「(あなた(主語)+は)+自分の好きな事+を+する(述語)+なさい(命令)」、「おまえは〜をしろ」と構造は変わらない
もしこの言葉を聞いた上で「自分の好きな事をした」場合には、発話者からの命令された行為を忠実に実行していることになる。好きな事をしても、この言葉が意味を持つ限りでは自発的なことをしたことにはならない。

この二つの言葉を言われた当人は、どんな事をしても、自発的な行為はできない。自発的な行為を行っても、すべてはこの言葉に収斂され、自発的な行為でないと解釈されてしまう。ゆえに、自発的な行為が行えず、自発性を失ってしまう。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090810/202161/?P=3

この記事を読んで前々から気になっていた言葉を少し深く考察してみた。この二つの言葉は、相手の事を思っているように見えて、言葉を通して、相手に矛盾した解釈の状況を作り、自発的行為としての位置づけを失わせる魔法の言葉である。

自分がこの言葉の呪縛を振り切れたのは去年の事だろう。
たまにこの言葉を使ってしまうので、これからは自重するようにしよう。
言葉には魔法がかかっている。正しく魔法が使えるようになりたい。