ちょうど人生の先輩にあたる方、ブログが心に残ったので、記憶に留めておきたい

娘の名前はまだ決まらない。親としての実感とか、芯から湧き出る覚悟とか、そういうのは一体いつになったら持つことができるのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/Asay/20120325/1332689689:title時には自覚の話を - 紺色のひと

自分も、もうすぐ娘さんが生まれるところ。本当に同じような心境を感じる。
自分はいつ、親の自覚がでるのだろうか?そもそも、親の自覚とはなんぞや?と
自分が親になってもいいのだろうか?未だに、徹夜でゲームしたりしているのに?


同窓会や、馴染みの人と会うたびに、変わらないねといわれる。
確かに高校時代から、髪型がほとんど変わっていない。むしろ若くなったと言われたことも。
お腹まわりだけは、年齢相応の脂肪を蓄えはじめていることは自覚している。


ただ、今まで考えたことのなかったことを、考えるようになった。


銭湯に行って、もし子どもと来たとしたら、どう伝えればお風呂場で走らせない様にできるだろう?
走るなと伝えるだけでいいのか?それでも走ったら?
小学校になったら、受け身の取り方を教えてとか滑った時にも死なないようにすることができるだろうか?
どの程度で叱るのが良いのか、自分の時はどう親に躾けられただろうか?
と。


結婚式をあげるときも、今まで目につかなかったウェディングショップが目につくようになり、
今ではベビーカーのお母さんを見つけるたびに、メーカーとか使いやすそうかどうかチェックしてしまう。


今までと同じ風景の中を歩いていたはずなのに、見える世界は変わった。

歳を重ねることが自覚できていても、大人として、親として、なんちゃらかんちゃら自覚が持てない、と言い続けている僕のことだから、「そういえば『自覚が持てない』とか考えなくなったな」とか思う頃には、既に中年を過ぎているのかもしれないな、と思ったのだった。
ともかく、どうにももやもやが残るのは、この一年で自分のことを「おとうさんだよ」と言うのに抵抗がなくなったのが、いつからなのかがわからないことだ。そういうふうに気づかなくなることが増えていくのが、僕は気に入らない。

http://d.hatena.ne.jp/Asay/20130331/1364734353:title親になる一年−緋色のひと


見えるものが変わっていくこと、自分が変わっていくことに、常に自覚的でありたい。楽しみたい。
それが歳を取るということなのだろうか。




さて、娘のなまえ、どう決めようかな。