主張と対立


本当に自分は権力に弱いと思う。

最近になって権力に支配されているということに気付いけたことが救いではあるが、権力を当たり前すぎて意識していないことが一番怖い。

1970年代の若者たちは、高校時代に権力に気付いて、学生運動やら、暴走行為やらに自らの自由意思を委ねたのだろうと思うが、僕たちの世代は集団で権力にはむかうことはなく、以下に既存権力に取り入るかのような価値観で育ってきている気がする。

時代ごとの成り行き、また詳しく考察したいと思う。

権力に弱いと気付いたのは、目上の人に何かを言われた時に、反論せず「はい」といってしまったことからだ。学校社会において、目上の人の言葉はとりあえず「はい」といっておけといわれた記憶がある。そのシステムにしたがって、「はい」と言ってきたが、「はい」の裏で、「いいえ」と思う自分がいた。普段はえらぶって、同年代には「いいえ」を主張していても、いざというときには「はい」としかいえない。とても情けない話だ。

学校という権力の呪縛に縛られてきたこと。
それにようやく気が付いたから、昨日、ようやく目上の人に自分の意見が伝えられた。
本当に話の通じる人でよかった。

普通の人は、こういった葛藤をもっと若いころに経験しているのだろうか。
それとも適当に相槌を打って、割り切ってすごすのだろうか。すごく気になる。

一昨日までは権力に支配された場面=仕事と割り切って、言われたことだけやろうと考えていたから、本当にモチベーションが下がっていた。権力に支配されていない場面に自由があって、自由だからこそモチベーションがあがる。ただし、自由という責任を身をもって感じれるようにならなければいけない。

ひとつ壁を乗り越えたから、これからはもっと自分の意見を主張していこうと思う。
自由だから、自分を主張できる。自分を主張するからこそ、自由を勝ち取れる。

システムになんて入りたくないから。