きょうは楽しくやることが、一番のまちづくり活動団体?おやかつに混じって、鞆の浦に行ってきました。

この団体、まじめに不真面目という形容詞が似合いそうで、いかに面白くやるかみたいなところがモットーの団体なのです。

おやかつには同級生の友達を通して、参加してるんだけども、そのメンバーのダサいさといい、面白さ(むしろ風変わりさw)といい、文句なく濃い面子が集まってる。

そんなメンバーに揉まれながら、今年の春以来の鞆の浦探索。

鞆は何が良いかといえば、路地がいい。坂の有る港町といえば、尾道牛窓を思い出すところ。それに劣らないくらい、広い街に入り組んだ路地と古く感じの良い民家が点在している。俺の好きそうな街なんだよな。ただし、感じたことは街の雰囲気がいまいちな所かも。これは単なる思い込みかも知れないし、そのとき会った人に左右されるといっていいいんだけども、それは鞆架橋計画という問題を抱えているせいだともいえる。


さて、この鞆架橋計画に対する賛否というところに興味を持って、いきましたこのメンバー。昼からは反対運動の中心にいまする松井さんという方のお話を聞いてきました。

まあ、これが・・・。なんとも言い表せない感じで、本当に言葉に表せない感覚です。

素直な言葉で表すと、どうしようもない。



問題が問題として認識されていないことが、一番の問題というやつで、結局決まったものはしょうがない、もしくはややこしい事に関わりたくないという住民側と、反対サイドの、住民も行政も理屈では説得できないというジレンマ、そしてどこで決まったのかわからないことに振り回されて動く行政という三者の三様の硬直状態にあるところである。
んでもって推進する理由というのは結局は利権であるとしか言いようがない。けれどもその利権というのも、まあ複雑で、国のお金で生活しているものの生存権の主張というか、地域内慣習法でにの決まりで動いているというやつで、うかつに手を出せない、どうしようもない状況のなのです。


これが世間一般で言う、談合政治とか抵抗勢力とか自民党体質とかいう名前おwつけられるやつなのであります。


この慣習法の成れの果てが諫早であり、鞆の浦であるといえるだろう。

日本の高度経済成長を支えたのもこの仕組みだということも出来るのだけど。


どこに原因があったかをさかのぼれば、結局、地租改正、農地改革明治から自治体が合併にあると思うのだが、この話はややこしいので、また今度の機会に話をしよう。都市問題の話もこの中に含まれるのだが、結局はどうやって税をとるかという話と土地に対する考え方の問題となのだろう。


はてさて、現段階では工事の仮差し止め訴訟の段階ではあるのだが、今のところ雲行きは芳しくないといったところだろうか。日本の法律は所詮、単なる国の基準でしかなくて、過去の判決事例の蓄積でしかない。だから、景観の問題は景観法によって制定されている場所でしか問題にはならない。景観法の制定も、重伝建の指定も市によって進められるので、その指定を受けていない(何かしらの圧力があって話が進んでいない)限りは景観は問題とはならない。その前に基本的人権の侵害という名目が立てれないことはないのだが、基本手人権もお題目であって、共通認識ではないということだ。

裁判では全体の議論の中で、問題のどちらの理屈に利(理)があるのかということを判断する場所ではないのだ。


すぐに話が横道にそれてしまうんだけども、最終的な話は「おやかつ」がいかに外から風を吹き込めるかということにまとまった。馬鹿らしくも、知的に、そしてなによりもおもしろく、この鞆の浦に新しい風と視点が持ち込めるかということが重要だ。


卒論で忙しいけども、ちょっとでもこの動きに関われたら面白いなというのが感想。

参加者の人に聞いたボランティア論も、今までの自分のボランティアに対する疑念や疑惑、不信を振り払うものだった。要するにボランティアの害悪がはっきりしたということなんだけども。

ここは本音を言う人たちばかりだから、楽しい。馬鹿らしくも知的に面白いところだ。ってね。